手書きの文字には「力」があります。また、書かれた言葉は、書いた人の想いを宿します。つまり、人が書く行為によって生みだされた「書」は、強いのです。
「書」は、その人が本来持ち合わせた「センス」に左右される現代的なアートとは性格を異にします。表現を感覚、誇張、発想に大きく依拠するほど芸術の価値は希薄になりがちです。
一方「書」は、その人本来の資質だけでなく、修練によりなお高められ、深い感動を得られる極めて東洋的な芸術といえるでしょう。
「書」の名筆を学び、さまざまな美の要素・技術・表現の可能性・品格を理解し汲み取る。そこに人間力が加味され、味わいとなる。「書」の面白さや深さはここにあります。
清澄正命の「書」は、日本人としての感性を大切に、「書」の深遠さをまといながら、観る人に何かを届けられるものでありたいと常に願っています。